昭和40年01月26日 夜の御理解
先程夕食をさせて頂く時のことでございます。丁度ご用で北野の<淵野>さんが見えておられます。お食事させて頂きながら<淵野?>さんが言われることです。「この頃信心もだんだん少し深めさして頂きます。分からせて頂けば頂くほど道が分からなくなってしまいます。」本当にこの求道、いわゆる道を求める。なかなかたやすいこととは思えません。けれども道は遠い、遠いところにある。そんなことはない。「<淵野>さん、そんなことはないよ。
諺にも言うじゃないですか。「道は近きにある」なんだ。どうして遠いところにあるか。自分の足下にあるじゃないか。こうすることが本当だ。例えば、信心の道でも何の道でも同じこと。ここで言うならばわが信心の道という、おかげを頂かせて頂く道という。やはり道があって道を辿らせてもろうておかげに到達するのである。信心の道を分からして頂いて、本当の信心の道が、その道の奥処へ、奥処へと進んで行くことが出来るのである。一足飛びに向こうの方ばかり見よるから分からんのである。
足元にあるじゃないか」と言うて、話したことなんですけれどね。今朝、朝のご祈念の後に、毎朝、田主丸の小野先生が参って見える。産婦人科の院長先生。もう長年この人は参ってくる。毎日これこそ、かかさずに参ってくる。なかなかその邪気のない人であるね。いわば医学なら医学という最高の学問を身に就けておる人にしては、実に無邪気な信心をされます。今、何が焦点で参って見えるかというと。
娘が高校に行かなければならないし、中学に参ります時にも、大変なお繰り合わせを頂かせて頂き、その時にはもう出来まいとされておりました。久留米のあそこはなんち言いますかね。府立(信者に問われる。)付属中学ですかねえ。その時でも本当に神様のおかげを頂いてから、おかげを頂いた。そうすることは一生懸命おすがりして頂いてから、お願いさせて頂いたら、明善一本で進めと頂いた。
ところが、両親は心配になるわけなんですね。福岡の何々学校にも受けさせてやりたい。久留信愛高校にも受けさせたい、とこういうわけなんです。それでその、先生の言うとおりにして、おかげを頂くということを、その小野先生だけは、やや信じておられた。「お取次で、こう仰ったぞ」「あなたは、そげなことばっかり言いなさってから、もう出来んときにはどうしますか」「そりゃちゃんと、出来んなら、出来ん時の方がおかげ」とそう言うたです。
「もうあなたがそういう不見識なことを言うから、私は信心が嫌いになるのですよ」とか言うて、夫婦げんかしたんですねえ。一遍言うたら、そんな柄の人ではないですよ、その奥さんは。何故かというと、あなた十何年前に奥さんの兄弟、おじさん【 】九大にも行きゃ、医大にも行ったけれども今の医学ではどうにもできんという病気であった。それを高芝さんのお導きで、私が高芝さんのところに、毎月あの時分、私がお話に行っておった時、その時、その側におられましたから。
あそこのお母さんが、もう信心なんか、いやと言うのを無理やりに、引っ張ってきてから、私の話を聞いたのが始めてだった。それから毎日椛目通いするようになった。それからそういう、治療のおかげ頂いたのですからねえ。助かったのですから。医者があの時何人かで【 】<それほど助かっとってから【 】を言うだんじゃないようなおかげ頂いて、【 】御用ができておるのですから。
それは椛目の金光様にどうこう言うことではないけれども、小野先生が、あなたの【 】とばっかりいうてから、それでどうしますか。いよいよの時に入れなかったらどうしますか、と。言うてからまあ、子供のことから喧嘩になったということです。><それで僕が申しました。それでも・・?そん友達が、九州、長崎医大にどうでもこうでも行きたいというて、もうそれこそあの手この手を使うて、入るために努力したのだけれども出来なかった。その時には、もうそれこそ俺は医者は断念するいうて。
残念がっとったけれどもです、それから何年か後に長崎に原爆が落ちてから、後から何年後に人が言うわけです。本当に人間の運命ちゃわからんもんだねえ。俺が長崎ば行っとったら、今頃この世にゃおらんとじゃが。お前も知っとろうが。だから例えばそこに行かんなら、行けることがおかげなんだから。お前んごたるこつ言うたらできん。というたらそのそういう馬鹿な話があるかというて私に食ってかかりますというわけ。だから私は、もう今日は少し声を荒立てて私が申しました。あんたの言うことは馬鹿んごとばっかり言うではないか。言うて聞かせなさいというわけです。
金光様のご信心、椛目の教えを頂いておる。そんな無気力のものではない。神様任せになるということは。神様に一心におすがりさせて頂いて、子どもがかわいいならば親が修行させてもろうて、できることなら、子供も一緒にお参りさせて頂いて、一心におすがりさせて頂いて、出来なかったのならば、それは神様のご都合であり、必ず神様のそれがおかげの元になるのだけれども。
ただ一心に明善高なら明善高一本におすがりして居るという。神様にお願いしておるというだけで、いうならば勉強もろくろくせんでから、出来だったというのがおかげになると言うものではない。神様一心におすがりさして頂いて、おかげを受けるということは、そんな無気力なものじゃない。明善高が良いとおっしゃれば、ほんとに明善高一本に。腹を定めて、そしてそのために一生懸命勉強をさせて頂くということなんだ。
おすがりをするということが一文字。神様と氏子の一文字のつながりをつくるなら、一生懸命勉強するという横一文字ができて、初めてプラスのおかげになるのだ。そんな御理解です。ね。神様がああおっしゃったから、明善高で良いとおっしゃったからという、縦一文字におすがりをする。そしてそんなら一段と頑張るぞ、というて横一文字に引っ張らせて頂いて、十(タス)という字になるでしょうが。
プラスになるおかげになるのじゃから。「ハァ、今日はよかご理解を頂きましたけん、そのことを家内に言うて聞かせますから」と言うて帰られたんですけれどもね。それなんです。物事っていうものは何でも。ね。これにおすがりしてるから、自分に努力もなあんにもせんでおいてから。それが神ながらとでも思うたら大間違い。今日、私が十二時にここを下がるちょっと前だったでしょう。
桜井先生がお礼に出て見えられた。あちらをお道引きされて石井さん。その方が今度、福岡の大名町にお家を建てられる。そこで地鎮祭をしてくれということだった。神様にお伺いをさせて頂いたら、『椛目に一遍お届けに行って、そして後に教衣を借りて、教衣を付けて、そして地鎮祭のことをああこうしろ』というお知らせを頂かれた。それで、ここへお願いに見えられました。
それで私そのことをお届けさせて頂いてから、私はそのことを聞く前でしたけれど、おい出られたらいいですよと。地鎮祭というのはねえ実をいうたら「生神金光大神天地金乃神一心に願え」と仰るから、金光大神をおすがりさせて頂いて、天地の親神様のいわば御地内に不浄、不淨の地区がある筈がない。けがれた所というものがある筈がない。いわば、けがれた所があるというような事は。
神様に対してご無礼に当たるようなことじゃ。神様のご地内に、不淨の地というものはないのだけれども。普通でいう、こう、しめ縄を張ってからの地鎮祭ではなくて、あちらには、ちゃんと用意がしてあろうから、お神酒だけでもご地面にまかせて頂いて、そしてお祭りを奉仕させて頂いたらよかろうと。そして私は申しました。奉仕着は金光教の教師が着る紋付き袴というのはそのままが教衣なのだ。これが教衣なのですよというて、私はその御結界の奉仕用の、紋付き袴を一揃い貸して差し上げた。
その訳を聞かれてから直ぐ博多へ帰られまして、お祭りを仕えられたらしいのですね。そして、一応自分の家に帰らせて頂いてから、こちらへ帰ってきた。そこはまあ余談ですけれども、まああちらで帰る時に、お神様にお供えさせて頂いた、そのお供えを風呂敷に包んでから、お下がりを先生にことづけられた。何がしかのお礼を、お初穂をことづけられて、それを持って一応うちに帰られた。
この道はね、それこそ毎日毎日が、神様まかせの生活をしておられますものですから、お粥もなからなければ、食べ物もないと、いうような時なものですからね、先生がようやくお初穂をもろうて帰ってきなさった。お米ももろうて帰ってきなさった。お魚もおかがみさんもあるお供えを、風呂敷に、いっぱい頂いて、帰ってきなさった。それで家内が直ぐ目を付けた。ね。
それで俺は椛目にお礼に出てくるからというて、そのお供えを持って出ろうとしたら、家内がまたヒステリーを起こして、また、やりやり大喧嘩の寸前ちゅうところでございました。本当に危ないところで、お前いつまで分からんかと言うて、たたこうと思いましたけれども、神様におすがりさせて頂きましたら、おかげでようやく、そのまあ、そんなら行ってお出でなさい、と言うところまでになっておるところへ、丁度、<よしろう>先生がやって来たんです。
嘉朗さんがことなんです。それで後は、嘉朗先生が(笑)具合よくまるめて下さったにはちがいありませんけれども。まあそんなことでお礼に出てきたとこう言う。私丁度、風呂からあがってから、こう足をなげだしてから、古賀先生に足の爪つんでもらいよった。そこへ桜井先生が、そのお供え物とお初穂を持って、勿論ここへお供えするために持って、ここへ入ってきた。
そこで私は、むづかしゅうひとしきり桜井先生に言うわけなんですねえ。「桜井先生、神様どげん言いなさったね」て私。「信者の下げたこのお初穂を、有り難うございますちゅうて受けて帰れとおっしゃたね。このお下がりをもらって帰れとおっしゃったか」と私。「どうか。よそなら知らんよ。どこそこの何々寺の坊んさんなら知らんよ。お経あげにこらっしゃった。お布施を包ましゃった。そんならというて頂いて帰るかもしれんけれども。金光大神の権威にかけてそんなことは出来ん。」
ちょうどむつやの信司さんがある用で来ちょった。私が、十何年前あそこの、お祭りを仕えにいった時にです、あちらでお祭りが済んで、ご直会を頂き終わってから、帰ろうとする時に、田代さんか、石井さんかが、とにかくお供えの、鯛だけ持って帰って頂こう。私はもう、帰りかかっておる時に、そんなことを言いよりますから、私はもうひっくりかえってから、ご神前に座りなおした。
私は貰いに来とらんばいのと申しました。日ごろ、なんのために稽古させて頂いておるか。先生が帰りなさるとに、お供えをことづけるとはなんちゅうことか。折角これだけの信心させて頂いて、たったそれだけの実意を欠いだことで、おかげが半分になるがどうするか。何故明日の朝改めて、お礼に出てくるときに、出てくる出てこんはよいけれども、出てくるなら、出てくるときになぜお供えだけ持って来んか。
私はまだ帰っとらんがと言って、また長々と、あの時分大変な勢いでしたからですねえ。私は、それこそ一同の者にそのことを縮み上がっていただきました、そん時の御理解を。そのことを私が桜井先生に話す。古賀先生、あなたもようと聞いときなさい。あなたどんがこれから布教に出らして頂いてから、ご信者さんの家に、さあ、地鎮祭だ。さあ、宅祭りだとゆうて行ったときに。
お初穂でも、その場でことづけるという時に、受け取りでもして帰っちゃならんよと。お供えものでももろうて帰っちゃ出来ん。もらいに来たのじゃなか。それが、桜井先生、道じゃないかと私がこう言う。それが道ぞ。信者におかげを頂かせるという道を教える、その例えば、取次の者が、教師が、なんならお初穂やら、風呂敷包みに下げたお供えをてれっと持って帰ってくるか。
「それがもう福岡の教会あたりでは、こういう流儀じゃったものですから。」よそは知らん。ここで信心の稽古をさせて頂いて、さあ、椛目の何々の弟子とかちゅうて、あんた神様から頂きよるではないか。心せにゃできん。・・?の古賀先生にもこの通りだ、と言うて、まあ言うたことですけれども。そうでしょうが皆さん、道とはそうでしょうが。はっきりそばにあるでしょうが。ね。
お祭りを仕えて頂いた信者が主。それを取次で頂いて奉仕させて頂いた教師の道というのはそこにあるでしょうが。信者も道を間違えておるなら、教師も道を間違えておるじゃないですか。それでは、教師もほんとの意味で助かることはない。信者もほんとに助かることはないのです。しかもその道がです、横縦十文字につながって、本当のプラスというおかげになってくるのです。
この辺は大変、いうならデリケートなところ。さあそんならば学校なら学校へ、その試験、一生懸命勉強するということが、横一文字になるならば、神様に一心にすがり、神様まかせになっていくということが、縦一文字。それにこう横一文字にこう、言うなら、人間の心の限りを尽くすということも、やはり横横一文字であるけんでちうて、先生に袖の下を持っていった。
不自然な考え方をするようなことを、横一文字と思うようなことではおかげになりません。だから信心の教えばちゃんと頂いてさえおれば、道というものは、どうしていいやら分からん、というようなことは決してありません。こうすることが本当だということを、一生懸命に行ずるということ。そして神様まかせになるということ。縦一文字、横一文字が十(タス)の字にならなければ、本当のおかげにゃならんということですね。道は遠い所にあるのではない。足下にある、足元にあるわけなんですね。おかげ頂きました。